宮古島の胸熱おみやげ「久松五勇士」を君は知っているか──
時代は、明治。
極秘のメッセージを届けるために、宮古島から石垣島まで150キロの海をわたる。
タイムリミットは次の夜明けまで、使えるのは小さな船と、船をこぐ櫂だけ。
困難なプロジェクトをなしとげるため、5人の男たちが立ち上がりました。
そんな物語をモチーフにした、宮古島のおみやげ「久松五勇士」をご紹介します。
宮古島みやげのロングセラー「久松五勇士(ひさまつごゆうし)」
久松五勇士は、宮古島みやげのロングセラーです。
菓子パンの「うずまきパン」で有名な、富士製菓製パンが作っています。
大きさは、食べやすい手のひらサイズ。
包み紙をはがすと、美人なバウムクーヘンが現れます。
バウムクーヘンの生地は素朴な黒糖味で、中心にはクリームが詰まっています。
少し重めの懐かしい味わいが、温かいお茶によく合います。
敵艦、見ゆ。石垣島への遠い道のり
今からおよそ100年前、日本はロシアとの戦争中でした。
ある日、宮古島に入港した船から、「ロシアの軍艦を見た」との知らせが入ります。
当時、東京へいち早く情報を伝える方法は電報でした。
ですが、宮古島には、電報を送る施設がありません。
ロシア船発見を東京に知らせるには、郵便局のある石垣島に行かなければいけませんでした。
石垣へ、一刻も早く。
メッセンジャーとして選ばれたのは、久松地区の5人の漁師でした。
1905年の5月26日、男たちを乗せた小船は、夜明け前の港を出発します。
サバニとよばれる小さな船には、エンジンはもちろん、風を受ける帆さえついていません。
船を動かすのは、櫂をこぐ5人の腕だけです。
宮古島から石垣島まで、およそ150キロ。現代のエンジンを積んだ貨物船でも、5時間はかかります。
5人は、小さなサバニを一心にこぎ続けました。
真っ暗だった東の水平線から太陽がのぼり、朝になります。
150キロも船をこぎ続けるのには、どれほどの体力が必要だったのでしょうか。
想像もつきません。
西の水平線に日が沈むころ、サバニは石垣島に到着します。
引き潮や浅瀬の影響もあり、5人が島に上陸できたのは、次の日の朝でした。
「本月二十三日午前十時頃──」
八重山郵便局から東京へ送られた電報は、さらにその翌日、5月28日の夕方に海軍に届きます※。
5人が宮古島を出発してから、3日近くの時間が経っていました。
※久松五勇士の足取りについて、日付や時間帯には諸説あります。この記事では、宮古島市
立博物館の展示に基づき、日時を記載しました。
時代を越えた胸熱を、おみやげと一緒にいただきます
実は、石垣島からの電報が海軍に届いた頃、ロシアの艦隊と日本の艦隊は、九州の対馬沖ですでに戦いを終えていました。
1905年、まだ人頭税が廃止されたばかりの、昔むかしの出来事です。
宮古島は、とても小さな島です。
橋でつながった島々のほか、周りにあるのは、見渡すかぎりの水平線だけ。
GPSもレーダーもない時代に水平線の向こうを目指した、彼らの力の源は何だったんだろう?
使命を果たしたあと、5人はどんなことを考えたんだろう?
バウムクーヘンをかじりながら、100年前の波しぶきや、照りつける太陽に思いをはせます。
久松五勇士 5、10、15個セット
お土産屋さんのほか、富士製菓製パンのネットショップでも購入できます。
https://www.uzumakipan.com/
そのほかにも、「胸ほっこり」おみやげtrip coffeeをご紹介
つい胸が熱くなってしまったので、ほっこりするお土産もご紹介します。
宮古島の生き物たちがかわいいこちらのパッケージは、沖縄のさんごでローストされた「さんご珈琲」です。
ローストとは、コーヒー豆を加熱して、コーヒーの風味を生み出す工程のこと。
ローストにさんごを使うことで、石焼きいもと同じように、じっくりおいしいコーヒーができあがるのだそう。
trip coffeeは、宮古島空港のほか、宮古島のおみやげ屋さんで販売しています。
カラフルなパッケージを手に取るたび、気持ちが晴れの日のように明るくなります。
ちょっとしたおみやげや、自分用にいかがでしょうか。
この脱力感、たまりません。
trip coffee
5、7、10、14個セットhttps://miyakoisland.ryukyu/trip-coffee/